トルコ風呂(ハマム)
ハマムの伝統は、トルコ人がアナトリア地方にたどり着いた遥か昔にさかのぼります。アナトリア到着時、トルコ人は独自の浴用慣習も伝えました。この慣習は、ローマ帝国やビザンチン帝国のものとも、地方の慣習とも相異なるものでした。この慣習は次第に浸透していきました。イスラム教徒が増加し、清潔への関心が高まり、それに伴って水の使用に対する注目が集まるにつれて、ハマムという全く新しい概念が生まれました。しだいにこれが古い伝統を持つ習慣となっていきました。
ハマムは、単に肌を清潔にする場所ではありませんでした。人々の日常生活と深く密着し、あらゆる階層、身分の人、老若男女、貴賎、町人村人などが自由に来られる場所でした。男性だけでなく女性も、トルコ語で風呂を意味するハマムを使用していました。もちろん男女の使用時間帯は別々でしたが。
ハマムは、個々人にとって人生の始まりから終わりまで身近な場所でした。人生の重要な行事はハマムに集って皆で祝っていました。今だにこの習慣が残る地域もあります。新生児の初40日、食事と生演奏で祝う新婦の入浴、そしてAvowalなどが例です。後者は少々説明が必要ですね。これは、重要な願望の遂行を前提とした、アナトリア地方では一般的な、約束や誓いを守るという慣習を意味していました。ハマムでこのお祝いが行われ、誓いを果たす側が支払いを請け負っていました。そして皆が自由に参加することができました。
ハマムで喪に服すという儀式は、ある意味かなり変わったものでしたが、広く浸透しました。風呂場でのもてなしとは、まさに来客に一風呂浴びてもらうためにハマムへ連れて行くことを意味しています。その他、割礼、結婚、入隊の際にも入浴しました。御覧のように、民族の文化全体がハマムと重要な関連を持っていました。
当然のことながら、ハマムに行く際の携帯品にはさまざまな物があり、最近まで女性が所持する風呂敷の中には15から20もの品が含まれていたこともあったようです。それではこの品々を見てみましょう。
「ペシュテマル」とは、両端にふさ飾りのついた大きなタオルのことで、脇の下から太ももの真ん中くらいまでの上半身を巻きます。そして女性は「クルナ」という大理石の洗面台へと進みました。ペシュテマルはストライプまたはチェック模様になっているものが多く、シルクと綿の混合、綿100%、さらにはシルク100%のものすらありました。
トルコ語で「ナーリン」と言われる木製の靴やスリッパにはさまざまな種類がありました。精巧に彫刻されたスリッパは、濡れた床でも滑らないように守ってくれていました。いろいろな方法で模様づけされており、ほとんどのものはたいてい真珠の内層を使って模様づけされ、銀細工で覆われたものもありました。鈴や、藁で作られた織物鞘が付いていたり、フェルトや真鍮が使われていたこともありました。
「タス」とは体にかける水を入れるボウルのことで常に金属でできていました。銀であろうと金ぱくであろうと銅であろうと真鍮であろうと、タスには必ず彫りこみがされ、装飾品が埋め込まれていました。
金属でできた石鹸入れは、たいてい銅でできており、ハンドバッグのように上に取っ手がついて、そこには水抜け用の穴が開けられていました。石鹸だけでなく、体をこする目の粗いミトン、石鹸を泡立てるのに使うナツメヤシの長手ぬぐいや他繊維品、つの製品や象牙品で作られた長い歯のついたくしなどを置いていました。
「ケセ」は石鹸入れに置かれる目の粗いミトンのことで、毛穴から出る汚れをこすったり、気持ちのよいマッサージをするために使われました。このミトンは毛髪や植物繊維から特別に織られたものでした。
小さな宝石箱もハマム道具にふくまれ、地域により、銀、銅、木製でできており、時々小枝細工、フェルト、ベルベット、銀などで覆われていました。女性はハマムで裸になるため、宝石品を外してその箱の中に入れていました。
体を乾かすために3種類のタオルがありました。一つはターバンのように髪に巻くため、一つは肩に、最後は腰に巻いていました。
ハマムカーペットは床に敷かれ、別の布をその上に敷いていました。その布はヤイグと呼ばれていました。女性は服を脱ぐためにマットの上に座りますが、そこに敷いていたのがその風呂敷です。敷いたものはハマムで使われた後は洗って乾かし、次の時まで風呂敷にしまわれていました。
内側風呂敷布は上質の白の亜麻布で作られ、繰り返し洗濯されていました。
外側風呂敷布は丁寧に織られており、ベルベット、ウール、シルクの織物のことがありました。いずれにせよ、常に人目を引くもので、お祝いの日や特別な機会に使われるのに適していました。
鏡も風呂敷の中の必需品でした。縁と取っ手は木製のことがほとんどでしたが、銀や真鍮のこともありました。
ハマムに着いた女性が使うヘナの入れ物があることもありました。色を染めるだけでなく、ヘナは髪を強くすると考えられていました。ヘナは結婚前の若い娘にとっては古い伝統ある儀式で、ヘナの夕べと言われていました。
真ちゅうの缶でできた小さな小箱には、眉毛を濃い色に塗りつぶすのに使われるものが入っており、「ラスティック」という名で知られていました。特に金髪や赤褐色の髪の人によく使われました。
まつ毛に使われる、「スルメ」とよばれる別の小さな小箱もありました。
木製の箱に入れられたバラ香油の瓶もハマム風呂敷の中の欠かせない品です。風呂上りの体に香水はふさわしくないと考えられていました。
花嫁の入浴(ゲリンハマム)
ハマムに行く花嫁にとって、寒い日には欠かせない衣装がありました。上質のフェルトで作られたベストとゆったりしたズボン(シャウワル)です。花婿の側から贈られたこの品は、結婚という特別な日に家からハマムへの行き帰に使用されました。
花嫁がハマムに行くときに使用する別の衣装はシルクのバスローブで、前で開けるタイプで日本の着物のようでした。襟、袖、前縁はすべて刺しゅうされていました。この飾りつけられたバスローブを着て、花嫁は風呂の台座の上に座り、娘や若い女性はろうそくを持ちました。花嫁が先頭に立った一行は、タンバリンをたたく女性の後に続き、湯舟の周りを行進しました。すぐに娘や若い女性が歌を歌いだし、燃えたろうそくを手に持ったまま湯船の周りを何度も何度も行進しました。ある時点で花嫁の頭を覆うベールが頭にかけられ、そのあとで未婚の娘が自分の望む夫を見つけられるよう願いを込めてコインを湯船に投げ入れるというお祈りがなされました。この深い歴史を持つ伝統は今日でもトルコ風呂の儀式として見受けられます。
頭を飾る純白の綿モスリンは、縁を「オヤ」と呼ばれる刺しゅうで縁取りされており、風呂敷の中の欠かせない一品でした。女性は自分専用のものを持っていました。保湿を逃さないよう、帰宅前に頭に巻いていました。
都市とは違って町では、「キルダンルック」と呼ばれる特別な形をした入れ物があり、おそらく「垢入れバケツ」を翻訳した言葉だと思われます。そのバケツの中に石鹸、洗面タオル、スリッパ、水入れボウルをいれ、上に風呂敷をかぶせました。風呂についてからは、このバケツは湯船の泡立った水をすくうのに使われました。男性用のふろでも使われていました。
トルコ風呂はまた、体や髪のケアの仕方や化粧の仕方を学び実行する、美容師のための学校でもありました。いつも家に閉じこもっている女性が唯一リラックスして一日を楽しめる場所でもありました。
トルコ風呂の名声はその後、新しい現象を生み出す社会文化の様々な面をまとめることになります。ハマムは長い間トルコの伝統であり、トルコ生活の多くの面に光を投じることができる、長く続く社会性を持っています。
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